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ようこそ!
漂流日記は、人の手と手のあいだを漂流しながら、さまざまな思いを集めて世界中を旅するノートです。 - - - - - - - - - - - - - - - 愛・地球博市民プロジェクトに参加した学生によって始められ、2005冊を超えるノートが生まれました。閉幕までに約250冊のノートが帰りましたが、残りは今も世界中のどこかで心と心をつなぐ旅を続けています。 - - - - - - - - - - - - - - - ◎漂流日記公式ページ: http://hnikki.exblog.jp/ ◎漂流日記とは?: こちらで活動内容をごらんいただけます ◎漂着リスト new!:“あのノートは帰っているかな?”お探しの方は漂着リストをダウンロードできます。2007.1.13 更新 http://briefcase.yahoo.co.jp/hnikki_info ◎連絡先(深津): 公開できるコメントとして一言入れていただき、非公開コメントに折り返しのご連絡先を入れていただけると幸いです。 ○現在の漂流情報: 旅するノート 約1800冊 帰ったノート 317冊 - - - - - - - - - - - - - - - ○お知らせ: 漂流日記初の詩集「ことばすくい」好評発売中! B7版70ページで1冊300円(^^)/ ○関連サイト: Traveling Diaries Photo and English BLOG: http://eine.jugem.cc/ 2005冊と4万人の大交流計画ブログ: http://blog.goo.ne.jp/come_back/ 最新のコメント
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人の縁とは不思議なもので、かつてない再会をここ長野で果たしてしまった。
清水旅館の大広間で漂流日記を読んでいると 「沼田君、どうしてここにいるの?」 と声をかけられた。 ・・・あれ、この人、どこかで見たことあるけど・・・。 なんと、約4年ぶりに再会を果たしたのは、実家川越で、高校時代から髪を切ってもらっていた、 美容師さんだったのだ。 おお、高橋さん!なんという偶然、なんという運命! これはもう、結婚しかない!抱きしめてしまうおう! と思ったけど、さすがに相手は男性だったので、ここまで気持ちが盛り上がらなかった。 ああ、これが女性なら、きっとこの日はなにが起きても許してくれただろうに・・・。 高橋さんは沼田が大学生のころに、長野に戻って、独立されたことは聞いていたが、 そんなこともすっかり頭から抜け落ちていて、この再会がなければきっと思い出すこともなかっただろう。 漂流日記というこのツールが、この再会を導いてくれた。 漂流日記は「つながり」をテーマにしていて、つながりを作る不思議なツールであるといい続け、 「でも、書いたら次の人に渡してしまうんじゃ、本当につながったちえないのでは?」という反論に対して、 説得力ある回答ができないでいたが、この沼田の再会をお膳立てしたことだけでも、本当につながりを生み出してしまう、 魔法のノートであるといえるのではないか。 そのあと、飲み会で一緒にお酒を飲み、髪の毛がぼさぼさだった沼田が 「再会を祝して、髪きってくださいよ。」 とお願いすると、 「おう、いいね、そうしよう。」 と即決。深夜12時過ぎから彼の店で髪を切らせてもらうことになった。 もう、昔話でもちきりだったが、現在の長野の町に対する想いや、このまちで起業に至るまでのさまざまな苦労話というよりエピソードが 他人事として聞けなかった。 何せ大学時代、高橋さんがお店をやめてからのエピソードを彼と偶然であって、そのお店で後日譚として、聞いているのだから。 しかも、その人と食事したり、お酒飲んだり、仕事の話したり、娘の話をしたり、旅館に泊まったり、そんなことをこの長野市でするなんて、 だれが予想しただろう??? 高橋さんも感慨深げで、カット代もとらなかった。 「何かの縁だから、今日はもらわないよ。」 「いいんですか?」 「毎月、ここで切ってくれれば、文句ないからさ。」 ・・・毎月は無理ですよ。 年に一回にして下さいね。 デジタル社会の寵児たるケイタイは、「いつでも」「どこでも」大切な人につながることを可能にしてくれた。 でも、もし、あなたの記憶に残り、今でも再会したい想い人や、大切な人がいるのなら、 漂流日記にその思いを書き込むといい。 きっとその人と「いつか」「どこか」で再会することができるだろう。
もう、数日で万博は終わろうとしている。
そんな万博、市民プロジェクトから生まれた 「漂流日記」 漂流日記とはいったい何なのだろうか? すこし、考えて行きたいと思う。 漂流日記を考えることは、 自分の万博を振り返ることでもあるし、 「意味がわからない」 「何がおもしろうのか?」 「そんなことをしてどうなるのか?」 という批判もある一方で、メディアからの取材はダントツであり、 その知名度も高い。 「漂流日記」を考えることは万博を振り返る意味でも、今後の漂流日記の展開を考える上でも重要なことだと思う。 さて、 始まりは2003年の12月だった。 今まであった人も含めた学生たちの交流会を企画していたのだった。 そんな中で深津真理が漂流日記のみんなに書いてもらえるノート、そんなノートを作ってみたい、と言ったのだった。 深津真理の遊び心をただなんとなくカタチにしてみようとしただけだった。 沼田は反対した。 「そんなものにどんな意味があるの?おもしろい?」 「別にいいじゃないですか。なんにもないと話すこともなくなっちゃうかもしれないし、ネタとしてあっても。」 「・・・・・・」 結局、やってみることにした。 ノートに自分の聞きたいことを書いた。 <冬休み、お薦めの本を教えてください> その答えを数人の人が書き込む。 書き込まれたスケッチブックを手にとって読んでみた。 <おもしろい> このとき、この企画の面白さに気づいてしまった。 このノートはものすごいことになるぞ。 書き込まれたノートに踊る文字。 汚い字、きれいな字、小さな字、大きな字。 それこそ十人十色。 メールでやり取りすることがあたり前になってしまったこのご現代で、 人の書いた文字、それも、何十人と見る機会なんてめったにない。 文字を見ているだけで楽しくなれた。 このノートが今目の前に数冊あるだけだが、もし、このノートが数千冊あったら・・・ と考えるだけでもわくわくした。 「深津さん、深津さん、これって、裏企画なんかじゃなくて、しっかり企画としてやろうよ。」 というわけで、企画を作ることになるのだが・・・。
ついに芸能人が参戦!!!
中京テレビ取材にて、眞鍋かをりさんと夢の競演。 一緒に漂流日記をJTBに流しに行く。 というわけで、2005冊のうち、眞鍋さんが書き込んだ漂流日記が、 世界を漂流することになりました。 集合写真の一枚でも取れればよかったのだけど、 さすがにマネジャーさんの許可も取れず。 そして、藤原君がこっそりもらっていた、サインを強奪。 すごいことになってきたな・・・。 ![]()
1月17日(月)
中京テレビ取材初日。 初日はひょんなことから、中京テレビにお邪魔することになり、 ノリで、 「中京テレビで働くみなさんに漂流日記を流そう!」 ということになった。 というわけで、テレビでおなじみに皆様、 縁の下を支えるスタッフの皆様に企画説明をし、渡していく。 そして、おなじみ本田アナにも漂流日記を手渡す。 森田、木全の度胸に乾杯。 ついでに、サインももらってしまった。 ![]() < 前のページ次のページ >
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